日本人と出し

ひと昔前の日本人と海のミネラル

60年くらい前まではどこの家庭でも、煮干しなどで出しをとり、味噌汁や煮物を作って食べていました。
海藻(昆布、ワカメ、ひじき、あらめ、のり、寒天など)も常食していました。
また、大阪や京都には「ハチメ」と言う習慣があり、ハチの付く日(8日、18日、28日)にはあらめを炊いて食べました。

明治のころまでは、肥料にも海のミネラルを入れていました。
古くからイワシが肥料として使われ、これは干鰯(ほしか)といい、各地に干鰯問屋というのがありました。
おせち料理に欠かせないごまめ(干した片口鰯の小魚を甘辛く炒ったもの)を「田作り」とも言いますが、これは高級肥料のイワシを肥やしにして田畑の土を作っていたことに由来します。
その後、北海道で採れるニシンが使われるようになります。
これは〆粕(しめかす)といわれ、北海道からの海産物を大阪に運んだ北前船の主な積み荷でした。
昔の人はこういった海からの肥料を金肥(きんぴ)と呼んでいます。
ニシンもあまり採れなくなると、肥料は大豆の絞りかす、そして化学肥料へと変わっていきます。

太古から江戸時代まで日本人と海のミネラル

大昔の氷河期の人類は、象や鹿などの大型動物を穫って食べていました。
約1万年前に縄文人が日本列島に定住し始めますが、それは河口の海岸であったと思われます。
魚介類を採取しやすく、飲み水も手に入りやすいからです。
魚介類と木の実が食べものの基本となり、それは各地に名前や遺跡として貝塚が残っていることから推測されます。

縄文人はやがて備蓄するようになります。
採れた魚をカチカチに乾かして保存し、食べるときには縄文土器に水を入れて戻します。
この汁も飲んだのが出しの始まりかもしれません。
英ヨーク大の研究チームの2016年の発表によると、福井県の鳥浜貝塚で出土した縄文土器の8割は魚介類を煮るために使われていたそうです。
魚や貝だけでなく海藻も同じようにしたと考えられます。
弥生時代になると米や大豆がプラスされ、こういった食事が最近まで続いていました。

現代の日本人の食事

化学調味料が開発され、顆粒などのだしのもとが普及し、1万年続いてきたと思われる出しをほとんどとらなくなりました。
海のものでとる昔ながらの出しにはミネラルが含まれていますが、化学調味料から作られる出しには含まれていません。
海藻もあまり食べなくなってきました。
カロリーは足りても、ミネラルやビタミンが不足しがちな食事が多くなっています。
家庭でも、市販の加工食品でも、外食産業でも同じことが言えます。

海藻を食べる日本独自の文化

日本列島の周囲ほとんどのところで様々な海藻が採れます。
海のおかげで日本人は1万年くらい前から海藻を食べる健康的な食事をしてきました。
だからでしょうか、世界中で日本人だけが海藻を消化吸収するための腸内細菌を持っているそうです(英科学誌「ネイチャー」にフランスの研究チームが発表)。
類を見ない食の特異性が日本人の気質、特性、お国柄を作ったのではないでしょうか。

古来、神へのお供えには昆布、アワビなどが用いられ、感謝することも忘れていません。

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